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(土) 23:32 図書館列車書庫
紫色のクオリア<うえお 久光>【図書館列車書庫入り!】
紫色のクオリア (電撃文庫)

天野さんにサイトトップのGIOGIOっぷりにぶふぉおと吹かれつつ。
二月頭に教えて頂いた小説を読んでみたら、これがとんでもなく好みの小説で。
描写やSFグルーヴ感、締めの結論も素晴らしい。

この作品は、ますやまもも様のご紹介で教えて頂きました。本当に有難うございました!
「片輪車」を書いた縁で知って読む事になった小説ですが、出会えて良かった。
「本格百合(←甘くない)SF」との事ですが、確かに。

以降、ネタバレかも? 注意。そうでもない気がするけど酔った脳みその判断なのでご了承ください。


人間がロボットに見える「毬井《まりい》ゆかり」。
ただこれだけの設定から、最大限にSF的応用が成される。

(余談だが、紫《ゆかり》には葵・茜という小学生の弟と妹が居る。名前は「絡新婦の理」四姉妹からか? 話としては遠いけど、認識論を扱う点で近い。女学園なので百合っぽい? し)

文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)
(2002/09/05)
京極 夏彦

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Wikipedia見たら「1/1,000,000,000のキス」ばかり持てはやされているようだけど、
自分は「毬井についてのエトセトラ」からただ者じゃないと思ったよ。
一昨日に『なぜ、脳は神を創ったのか?』を読んで予習し、

なぜ、脳は神を創ったのか? (Forest2545Shinsyo 15)なぜ、脳は神を創ったのか? (Forest2545Shinsyo 15)
(2010/06/04)
苫米地英人

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昨日「【博士の自由な対談】苫米地英人×水道橋博士;USTREAM対談
(水道橋博士検査入院欠席でDr.苫米地がアシスタントの女の子に一人喋りしていた)
を見た自分にはタイムリーで。


生き物に見えない、というのは火の鳥にもあった「病」だ。
そこまでなら「持ち慣れぬ能力を持った者の悲劇」にすぎない。
「火の鳥 復活編」で描かれた域から出られていない。

火の鳥 復活・羽衣編火の鳥 復活・羽衣編
(2003/07)
手塚 治虫

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それが「7.毬井の才能」あたりから病理──病気の原理を匂わせるようになる。

72ページの「逆に見る」視点、
【極論すればゆかりにとって、あたしたちとプラモデルにそれほど大きな違いはないと。】
これ、Dr.苫米地が云う「自我を関数としたとき、何を入力しても同じ出力となる──自分にとってあらゆるモノの重要度が同じとなる状態」だね。
釈迦と同じ視点、悟ったときに見えるもの。

──悟った者を仏陀と呼ぶ。ゆかりは仏陀だ。

比喩ではなく、厳密に定義された言葉だから自然に適用できる。
仏教徒だろうが無神論者だろうが関係ない。
冷やして固まった水を、氷と呼ぶようなもの。

「悟り」を予習するなら以前見た苫米地登場回のミランカに、全て入ってます。
ミランカ[miranca] | 博士も知らないニッポンのウラ#36「スピリッチュアリズムのウラ」<苫米地英人>



途中に出てくる「肉袋に見える奴」は、仮観《けがん》に捕らわれて──
というか、素直に「沙耶の唄」と云うべきか。火の鳥繋がりで。

沙耶の唄 Nitro The Best! Vol.2沙耶の唄 Nitro The Best! Vol.2
(2009/07/31)
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仮観や空観《くうがん》に捕らわれない毬井ゆかりが、ちょっと不自然かも知れない。
ラノベキャラ的ヒロイン、て感じだ。
「肉袋に見える奴」の方が「人でなしだが、人間らしい」ように思う。

……が、まぁこの辺は目をつぶってもいい事かな。だって主人公は毬井ゆかりではないし。
かつてのアリスのように抜け殻の空観ではなく、肉袋のように仮観にならず、
中観《ちゅうがん》で居られる毬井ゆかりは、やっぱり「ヒロイン」で有らねばならないから。

「ヒーロー」のほうもちょっと「自我を捨てて滅私奉公するほど好きな理由」が弱いけど、その後の爆走が面白いので良し。


なぜ「ロボットに見える」のか。
構造が見えると云う事は、原理を理解すると云う事。
原理を理解すると云う事は、実証が出来る──実際に再現したり、手を加える事が出来ると云う事。

Fate/stay night (1) (カドカワコミックスAエース)Fate/stay night (1) (カドカワコミックスAエース)
(2006/05/24)
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(この漫画は読んでませんが、文中では原作を想定)
人が命を人工的に産む事が出来れば、それは神の業だ。
泥からアダムを作り、アダムの肋骨からイブを作るなど造作もない事。
人体をパーツとして認識し組み替えられるのは「人で無し」、神──。
僕ら人の言葉で表現するなら、「そんな風に見られる対象」はロボットと言う他無い。
(現時点でバイオ方面はロボット工学ほど進んでいない)
だから「ロボットに見える」んだ。


毬井ゆかりが倒した一つのドミノ(比喩です)。
その一つのドミノが、素晴らしいスピード感で無数のSF応用を見せ、爆走する。
その展開・応用速度は読む者の脳細胞を「虎よ、虎よ!」並にフル回転させる。

「ジョウント」はもちろん「虎よ、虎よ!」から。

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)
(2008/02/22)
アルフレッド・ベスター

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「虎よ、虎よ!」は途中までは好きだけどラスト付近は普通かな。

認識論や量子物理学の行く先は、どうしてもID(インテリジェンス・デザイン)論の邪念が頭をよぎる。

神は沈黙せず〈上〉 (角川文庫)神は沈黙せず〈上〉 (角川文庫)
(2006/11)
山本 弘

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(山本弘先生にしては普通、出来はまぁまぁかな。最終結論への根拠が乏しい。説得力というか。人に勧めるのはちょっと難しい。これならMM9やアイの物語を勧める←注、読んだ当時の感想。今は忘れた)

その爆走の軽妙さは「夏への扉」を思わせる。

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))
(1979/05)
ロバート・A・ハインライン

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(これも今物語があふれかえった時代からすると牧歌的だけど、悪くない)

紫色のクオリアは充分SFだと思う。(これを「差し置いて」、つまみ食い程度のハルヒをSFと云わないでね)
ただクオリアの説明については神秘的すぎるかな。まぁそこで止めとくから野暮じゃないのは判る。

一つだけ苦言。
P273、一行目。「自閉症のようになった」。
これ駄目。良くされる誤解なんだけど、自閉症は引きこもりや無反応な人の事じゃないので。
ふさぎ込む、自分の殻に閉じこもるって意味合いだろうけど、自閉症はそう云う病気じゃないから。
「おっとり刀」が「おっとりしている」と真逆なように、全然違うから。

私もこれぐらいしかしっかり調べてない俄《にわか》だと指弾されても仕方がない程度の人間であり、偉そうな事云えないんだけど、ここだけこっそり直しといてください>うえお先生。


ラストシーンはあれで正解。あれがいい。
敢えてではなく、皮肉やパロディでもなく、あれがいい。
それが最終結論、物事の原理を知る「悟り」を越えた、真の「覚悟」であるから。
ジョジョの奇妙な冒険・Part6ストーンオーシャンにおけるプッチ神父の「保険付きの覚悟」は「悟り」に過ぎず、空条徐倫の「来いッ!」という言葉と共に、このラストこそが「覚悟」だ。
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(火) 13:29 日記
不機嫌亭デザインズさんにお名刺デザインして頂きました!
ugai_card.png bn_designs_100_500.png
かるたっぽいね~。シックで古風にまとめて。
つるつるなので撫でると気持ちいい。
どんな感じの作業なのか、様子がブログにしたためられていたり。



現状の携帯は、カシオ計算機株式会社のW53CA。
三年前の機種だけど、色褪せない。エロいでしょ?
casio-w53ca.jpeg
これを使い続けた最大の理由はカメラ性能。
デジカメを持つとポケット膨らむし、携帯なら自然に身につけられるから。
当初はノベルゲームの背景素材を撮るためだったけど、最近はもっぱらブログの旅行記や、日々なんとなく写真を撮る趣味のためになった。

CasioのWikipedia見てたら、Appleぽいなぁと。

ブランドイメージ

電卓などの電子小物のメーカーとして定評がある。 その一方で、たとえばカシオのデジタルカメラのQV-10はデジタルカメラブレイクのきっかけとなった。この機種は、スペック的にはさほど新しいものはなかったが、液晶パネルを備えて撮った写真がすぐに見られ、またパソコンへの取り込みが簡単であったことが好評を得た。このように、取り立てて優れたスペックは持たないものの、それを使って何をするか、何ができるか、と言うところで新しい切り口を見せる企業、との印象もある。古くは大ヒットした電卓・カシオミニも同様である。かつてパソコン雑誌『PC-WAVE』では、それを指して「目の付け所がカシオ」(シャープの宣伝コピー「目の付け所がシャープでしょ」のパロディ)と言われた。



そこにW53CAと同等の5M画素カメラをひっさげたiPhone 4ですよ。
iPhone4.png
四月頭にiPod Touchを買って正解だった。
後追いとは云えiPhoneの世界に飛び込めたし、解像度的にも旧型(480 x 320)とiPhone 4型(960 x 640)と二通り手に出来て実機テストもやり易い。
五月末にiPadで未来を見て、六末にiPhone 4に機種変更。出来すぎた流れだけど。

Androidはスペックやソフト自由度はいいけど、端末としてパッとしないから所有欲は低いんだよなぁ。
UIもイマイチ洗練されていないし、App Store審査がないからサードパーティーアプリのUIに統一感もないし。

やっぱiPhone 4かなぁ。
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