(金) 00:00 公開作品
カラオケハッピー   夕街昇雪

 歌い終わった小生が目を開けると、クラスメイトのみなさんが一人残らず床に転がっていました。
「みなさん、どうしました!?」
 隣の席の灰谷君は両手を前に投げ出し、机にうつぶせになったまま沈黙しています。
 いつも可愛い中島さんは汗だくの青い顔をして、そのおしゃべりな口を両手で押さえたまま床に卒倒していました。
 教卓のそばでは音楽の先生が倒れています。黒板に「やめて」とチョークで書かれた文字は、さながらダイイングメッセージのようです。
 教室の窓ガラスが、まるで氷に熱湯をかけたようにひび割れていました。

 やはり今回もだめでした。小生が歌うと必ずこんな事態になってしまうのです。
「だから歌いたく無いと……」
 力なく溜息が漏れました。


 § 桜色の雪原

 春が終わりに差し掛かり日差しも強い昼過ぎ。小生は街の大きな公園に立ち寄りました。
 公園を取り囲むように植えられた桜が散って葉ばかりになっています。地面には散り落ちた桜びらが敷き詰められて、さながら桜色の雪原のよう。
「凄く、綺麗」
 音楽の授業が中止のうえ学級閉鎖にならなければ、こんな風景を見ることは出来なかったと思います。
 好きな歌を精一杯歌ったら人を傷つけてしまった。そのことが頭をもたげて気が重くなります。この美しい景色で気持ちが晴れることを期待しましたが、どうやらこれは暗い明るいではなく心に穴。からっぽな気持ちなのでした。
 うつむく視界には雪原に埋もれる小生のローファーが二つ。なんとなく片足をどけてみると、踏み締められた花びらが濡れたティッシュのようにちぢこまり、湿った土の地肌と混ざり合って泥になっていました。振り向くと学校から続く足跡が転々と続いています。
 このまま進めば家に帰ることが出来ます。けれども代償として桜色の雪原を踏み荒らすことになり、自分の歩みそのものが公園を汚してしまうのです。

<歌でクラスメイトを傷つけ、今度は公園も汚すの?>

 そんな事を考えるとますます足取りが重くなりました。いまさら引き返しても散々踏み荒らした公園は元に戻りません。
 ベンチの前までたどり着くと腰砕けになり、ベンチに座り込んでしまいました。
「何処へも行けなくなっちゃいましたね」少し自嘲気味に言ってみましたが、何も変わりませんでした。
 こんな風にベンチに座り、ぼんやりと公園の風景を眺めていてはいけません。まっすぐ帰宅しなければなりません。早く帰らないとお母様にお叱りを受けることになります。
「けれども早く帰ったら帰ったで、お小言かな」
 まだ残っていた桜の花びらが、迷子になった蝶のように風に踊らされています。このままここに住み着いてやろうかと思いました。正直、家にも学校にも居たくなかったのです。
 こんな所で座り込んでいても仕方がありません。座っていると公園を汚さずに済むので気持ちは楽ですが、どう言い訳しても先送りするだけの逃げの手なのです。
 気持ちばかりあせって何も出来ない。なんだか凄くつまらない気持ちになりました。何もかもつまらなくなりました。不意に自分の口をついて出てきたのは、こんな言葉でした。

<Y女学院中等部の花柳十詩子さん。あなたの歌は人を不快にします。
 そんなあなたがなぜ歌うのですか? あなたはこれから一生、歌ってはいけません>

 自分でも、顔の筋肉が醜くゆがんでいくのが分かります。自信に満ち溢れた仮面は今にも融け落ちてしまいそうなほど不安定になりました。
 こんな顔を人に見せたくない。装いの裏に押し込めた表情。それは隠したい。人に見せたくない。ハダカの心の表情は。
 必死に手で顔を抑えて歪みを静めようとしました。けれどもどれだけ強く押さえても崩壊を始めた表情は原形を留めてくれません。手のひらの内側で表情筋が暴れています。
 無理に抑えた瞳から涙がにじみ出てきました。うつむくと、胸の高さまで伸ばした髪が前に集まり顔を隠そうとします。肩から髪がこぼれるたびにさらさらと砂がこぼれる様なかすかな音がしました。
 自分で自分を否定するなんて何という馬鹿なんでしょう。そんな事は誰も言いやしないのに。
 ううん違う。みなさんお優しいからはっきり言わないんだ。生まれつき呪われた喉なのだと言ってくれれば諦めもつくというのに。そうすれば二度と歌えないよう口を縫い針で縫ってご覧に入れるのだから。
 雨だれのようにこぼれ落ちた涙が手のひらを濡らしました。

「歌いたきゃ、歌えばいいじゃん」
 背後から不意にかけられた声に十センチは飛び上がってしまいました。
 いけない、取り乱すなんてはしたない。咳払いを一つして落ち着いて振り向きます。
「どなたですか」
「名乗るほどの者じゃござんせん。あっしはお嬢さんがそこに座る前からここで寝ている者ですよ」妙な喋り口の声の主は小生とほとんど変わりない年頃の少年でした。
 小生が座るベンチと背中合わせのベンチに横に長くなっています。中性的な顔立ちの髪はこざっぱりとして、白いYシャツとズボンは気の早い夏服の学生服でした。
「泣いてちゃあ可愛い顔が台無しですよ、お嬢さん」ずいぶん馴れ馴れしく語りかける男の子です。
「ずいぶん陳腐な殺し文句ですね。そのような言葉で女性が引っかかるとでも?」慌てて目頭を袖で拭いかけてやめ、悠々とハンカチを探します。
「ガールハントじゃござんせん。ただ、バイト三昧で疲労こんぱいの体を寝かせる束の間の休息を、辛気臭い泣き声で邪魔されたくないんでね」
 見つからないハンカチをあきらめて鼻を強くすすりました。「それは悪う御座いました。辛気臭い女は立ち去ることにします」お気に入りの手提げバックをひったくり、さくら雪を蹴散らして席を立ちました。このまま家へ帰ることに決めました。
「待ちな」
 これ以上何を言うつもりかと憤慨しかけたのを押し留め、怒りを抑えてはっきりとした口調で言いました。「なんの御用ですか?」
「怒らせたいんじゃあない。なんつーか……ほら、そこ」
 眠たそうな指先が示すのは、男の子のベンチの真向かいにある小さなビルでした。



 § カラオケハッピー

 小さなビルはコンクリートがむき出しで所々ひび割れています。「カラオケハッピー」と古めかしい字体で書かれた看板が、ビルの三階に据え付けられています。店の前のアスファルトは清掃が行き届いており、打ち水もしてあります。みすぼらしい店舗ですが真っ当な営業をしているのだと思いました。
 不躾な男子が紹介した店に行くのは少々面白くありません。が、泣きはらした顔で町を歩くことに比べれば背に腹は代えられないので、不満ながらも店に入ることにしました。

 エレベーターを三階で降りると小さな土間があり、低い段差の上にはカーペットの床が続いています。右手に靴箱、左手のカウンターには店員のおばさんがいました。
「いらっしゃい。
 おや、ずいぶん可愛らしいお客さんだね。黒髪のフランス人形みたいだ」
「黒……? フラ……?」一応褒められたようなので笑顔で返します。
「靴は脱いであがってね」
「はい」お友達のおうちへ遊びに来たわけでもなくお店で靴を脱ぐなんて、なんだか少しこそばゆい感覚でした。靴を脱いでカウンターの前に歩くと、おばさんが矢継ぎ早に話しかけてきました。
「ひとりかい? 最近多いねぇ。ひとりでこっそり練習するのかしらね。あ、何時間?」
 なんだか見透かされたような気がして気恥ずかしいです。「一時間でお願い致します」
「はあい、一時間ね」おばさんは愛嬌のある笑顔で合いの手を入れます。
 中学生の小生と同じ目線なのに、老眼鏡が似合う事が可愛らしく思えました。
 ふと気が付いたようにおばさんが、小生の事を上から下へ品定めします。「Y中学の子? 言葉遣いも綺麗だし。ええと、今日はもう授業は終わり?」
「今日は昼までなんです」クラスメイトの鼓膜を粉砕したからという事は……言う必要がありませんね。
「そうなんだ。はい、十号室ね」
 おばさんに案内されて廊下を歩くと両サイドにはドアが並んでいますが、全部を合わせても十部屋ぐらいしかないことが分かります。ドアの小さなガラス窓を覗くとカラオケの機材とソファが見え、ちらほらとお客さんがいました。
 案内された部屋は三畳ぐらいの小さな個室で、ソファと小さなテーブルとカラオケ用の機材が置いてある以外は何もありません。
「ワンドリンク制なんだけれど、何飲む?」
 差し出されたメニューに目を落とすと、お母様の嫌う庶民の飲み物がずらりと並んでいます。「では、ミカン水で」ちょっぴり当てつけてみました。
 おばさんはきっぷ良く「あいよ」と返事をして小走りに部屋を後にします。走り方まで子犬みたい。
「さて、と」制服の左手の袖を少しまくると、水晶の数珠が顔を出します。これは小生の“人魚の涙”。色とりどりのつぶが左手首の周りに繋がり、それぞれのつぶが鮮明な原色をしています。
 人魚の涙は装飾も兼ねた水晶記憶メディアです。
 五ミリぐらいの結晶の中心にひび割れのような三次元バーコードが浮かんでいます。これが記録したデータで、好きなアーティストの歌一曲とプロモ動画、歌詞にピアノアレンジバージョンまで入るのです。
 各種データを“結晶屋”に持ち込んで固定したものが、人魚の涙。
 穴が開いているので腕に巻いたりネックレスにもできて、カラーリングも曲のイメージに合わせて自由に選べます。うちのクラスでは八割ぐらいの人がお気に入りの曲を身につけているようです。小生は二十個ほどの歌の結晶を手首に巻いています。
「一曲目はこれかな」
 沖縄の海のように青みがかった粒の一つを指先でつまみ、カラオケ機のリモコンで読み取らせます。
 人魚の涙は普通、結晶プレイヤーに繋げて曲を聴くものですが、こうすると分厚いカタログがいりません。人魚の涙を読み取らせれば、中のデータを再生できるのです。
 軽いノイズ音をたてながら水晶メディアの中の三次元バーコードが読み取られます。解凍完了した曲が部屋のスピーカーから流れ出し、薄暗い小さな個室を満たし始めています。モニターには「髪長姫」というタイトルと歌詞が表示され、曲が始まりました。
 夏の爽やかな風が感じられる調べ。颯爽と立ち上がり、背筋を伸ばして歌い始めます。
 キーの高い冒頭は明るく元気なイメージ。歌詞を知らなくても思わずハミングしてしまうテンポ。やはり一曲目はこれです。
 声を張りあげた途端に背後で弾ける音がしました。振り向くと壁にひびが入っています。もう少し声を落とさないとまずいようです。
 歌声で壁を破壊しないよう恐る恐る歌い終え、すぐさま二曲目に取り掛かります。
 二曲目は赤いワインの粒。情熱的でちょっとエッチな、それでいて純粋な少女を歌った歌詞。タイトルは「女郎蜘蛛」。なんでも、実際にあった出来事を元に作られたとか。
 三曲目の「寒緋桜」に差し掛かるとノックの音が。ドアの向こうにはおばさんがミカン水を持って立っていました。
「ごめんねぇ待たせちゃって。団体さんが来ると嬉しいけれど、一人で切り盛りしているとこういう時につらいわね」
「いえ平気ですよ。頂きます」持って来てすぐ飲むのは嫌味っぽいかなと思ったけれど、喉が渇いていたのでガラスのコップにくちびるをつけます。全力で二曲歌った喉にミカン水の甘さが染み渡り、やや冷えているのでより一層おいしいように思えました。
「ずいぶん小さな声で歌ってたけれど、防音はしっかりしてあるよ?」壁をノックしようとしたおばさんが壁のひびに気づき、首を傾げています。
 何とか注意をそらねばなりません。「ご心配なく。楽しませて頂いてますよ」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」おばさんが嬉しそうにお盆を抱きしめます。
「カラオケボックスって部屋を面積じゃなくて時間で借すでしょ?
 部屋じゃなくて大切なひとときを貸しているみたいなものよね。
 おばさんさ、せっかく時間を貸したんだから楽しんでくれないと困るのよ」
「え、部屋貸しじゃないんですか?」
 おばさんは可笑しそうに手をはためかせます。「貸してるのはもちろん部屋だよ。ええとなんて言ったらいいのかな」
 お盆をひっくり返しながら言葉を選ぶおばさんは、なんだか自分の言葉に自分で頭を悩ませているようで可愛らしいです。「一時間部屋を借りるということは、与えられた一時間をいかに有意義に過ごすかってことなの」
「それなら分かります。一時間たっぷり好きな歌を歌えばいいんですよね」
「うーん、それではまだまだね。嫌いな歌も歌わないといけないの」
「ええと、それは何かの謎掛けですか?」人差し指をこめかみに当てて考えても分かりません。こうすれば、多少難しいパズルなら解けてしまうジンクスがあります。ただし数学のテストには通用しませんが。
 おばさんはさっきよりも大きく手をはためかせて笑いました。「こっちに来てごらん」
 なんだかちんぷんかんぷんですが、手招きするおばさんの後に付いていきました。



 § 葉桜

「ほら、ごらん」
 おばさんにそそのかされるままに、あるカラオケルームを覗き見していました。ほんのちょっぴり悪いことをしているような気持ちで、胸がドキドキしました。
 小部屋では白髪のお爺さんが、怒ると恐そうな顔を真っ赤にして熱唱していました。歌っているのはどこかで耳にしたような古いラブソングのようです。
「一生懸命歌っていますけれど、お爺さんの嫌いな歌なんですか?」
「ああ、嫌いも嫌い。あのカタブツ爺さんがこの世で最も嫌うラブソングだよ」
 そう言われてみると顔が真っ赤なのは照れているからかなと思えてきました。なんだかお爺さんが可愛いらしく思えます。
「いい年して好きな人が出来たんだとさ。ワシと同世代の女性が好む歌を教えろとか言うもんだから適当に教えたら、朝からずっと練習さ」
「なんだか可愛いですね」
「そうかい。ま、これが<嫌いな歌を歌っているのに有意義な場合>ということね」
 小生とおばさんは顔を見合わせて忍び笑いをしました。
「参考になりました」お礼を言って部屋に帰ろうと振り向いたとたん、信じられないものが目に飛び込んできました。「なっ!?」
 小生の素っ頓狂な声で、去ろうとしたおばさんが振り向きました。「どうしたのさ」
 小生は答えられず、見てはいけないものを見てしまったパニックで気が動転しました。ラブソングお爺さんの反対側の部屋の中で、複数の殿方がパンツ一丁で……まさか不純性行為を!?「おばさん! 男の人がっ、複数で、そのっ、パンツ一丁で! カラオケボックスの一室で!?」
「ああ、バンドやってる子の着替え中なんだよ」おばさんは事も無げに答えました。
「バンド?」
「すぐ近くにライブハウスがあるんだけどね。着替える場所がないからここで着替えるのさ。トゲトゲをいっぱいつけたパンクも、女みたいな化粧をするバンドも、よくここで着替えてるよ」
 小生はあっけにとられました。さっきまで破廉恥行為を働く異性──いや同性不純性行為かと頭がパニックになったのはすっかり忘れてしまいました。
「若い子を応援したいし歌わないんなら御代はいらない、っていつも言うんだけれどね。いや払いますって聞かないんだよ。まったくもう、金なんか全然持ってないくせに気位ばっか高くて。夢を売る商売だーとかいっぱしの口はきくんだから」
 誇り。実力が伴わないかもしれないけれど、それは高貴な誇りでした。「それは、とても素敵ですね」
「え、そう?」
「はい、小生は素敵だと思いました。電車内でよく見かけますが人前でお化粧をすると魔法が解けてしまいます。これは表舞台で光り輝く為に必要な、秘密の舞台裏なのだわ」
「なるほどねえ。そういう考え方もあるかしらねえ」
 首を傾げるおばさんを見ていると、無性に表に飛び出したくなりました。「お話ありがとう御座いました。お会計をお願いできますか?」
「あら、もういいの? あと三十分あるのに」
 丁寧にお礼を言ってお店を後にしました。なんだか足取りが軽くなっている気がします。

 外の空気を吸うと、ため息の代わりに独り言が出てきました。
「小生は一生懸命に歌を歌っているつもりだった。けれども十詩子さん、こういう地味な努力をおこたってはいませんでしたか──? 一所懸命に」
 担任の口調を真似てみると、なんだか本当に言われたことがあるみたいに声が思い浮かびます。
「歌いたくて、たまらなくて、飛び出しちゃった。店で歌えばいいのにね」
 自分でも可笑しくてたまらないという風に、指先でそっと口元を押さえました。

 広い野原のある公園。日差しはまだ高く人はほとんど見かけない。
 公園を取り囲むように桜の樹木が青々と茂り、枝の節々から葉桜が顔をのぞかせています。
 地に落ちた桜の花は土に融けるように形が崩れ、大地に還っていくようです。
 口をついて出たのは誰かの歌詞ではなく、小生の即興でした。

 歌唱のお勉強が出来る高校に進みたいな。
 人を傷つけない歌い方も習いたいけれど
 歌うことで自分も聞いている人もハッピーにできないかな。

 そんな歌詞でした。

 歌い終わった小生が目を開けると、Yシャツの少年が両耳をしっかり押さえたまま地面に寝ています。
「あらあら、風邪を引きますよ?」男の子って本当にだらしがないんだから。



 § 二年後

 高校生の男女が連れ立って下校している。少年の中指には黒い人魚の涙をセットした指輪型プレイヤーをはめており、プレイヤーから伸びるイヤホンで音楽を聞いていた。
「なに聞いてるの?」人懐こそうな声で少女が問う。
「ああ、インディーズの曲。自主制作とも言う」
 二人は立ち止まり、少年は少女に単語帳サイズのジャケットカードを差し出した。
「どれどれ……あ、女の人なんだ。花柳十詩子。ふうん。どんな歌?」
「聞いてみなよ」
「うん」
 イヤホンを持つ少年の右手が少女の耳を包み込む。
 音漏れする歌声はかすれた吐息のように聞こえた。
 少女の左手が少年の右手を優しく包み込み、二人は瞳を閉じる。
「どう?」
「うん……素敵」