2011.01.03 最後の忠臣蔵
(月) 17:18 図書館列車書庫
最後の忠臣蔵<監督:杉田成道、出演:役所広司/佐藤浩市/桜庭ななみ、原作:池宮彰一郎【図書館列車書庫入り!】
 いやぁ、面白かったぁ。
 時代劇ってこんなに面白いんだと、深く堪能しましたよ。
 今迄「メタ的な」とか「お遊びで」「パロディです」とか、じゃあお前いつになったら本気でやるんだよ!! 予防線ばっか張りやがって無責任過ぎるだろ!! 的な創作が氾濫する中、きっちり本気で制作された映画です。

 感想は最後にネタバレタイムがあります。また後で告知します。

 まず十五代目片岡仁左衛門の大石内蔵助が要石となり、前半全ての説得力が担保されている。

 江戸時代の風俗や暮らしぶりが丹念に描かれ、
 日本の情景の美しさや侘びしさフェチにはたまらない景色の数々。
 それでいて「どうだ、時代劇でしょ」と前に出るでもなく背景に徹する臨場感の味わい深さ。

 静のシーンだけでなく動もある。武士の斬り合いは効果音、FPS(ファーストパーソンシューティング)感(=憑依するような感覚)もあり、目が覚めるようだ。この映画、音にハッとさせられることが多いんだよね。
 いきなり斬り合いに雪崩れ込み戸惑うが、それは佐藤浩市と共に観客が戸惑えるのでOKなのだ。だってそのシーンは佐藤浩市と共に観客が役所広司の心に触れようとするシーンであるから。


 W主演とのことだがそうでもない。が、むしろそれでいい。見るからに主演は一人だ。
 冒頭の佐藤浩市、風吹ジュンとのシーンは作業感が声に出てて良くない部分が出ていた。十六年間討ち入りの真実を遺族や民衆に語り続けた男にしては、語り口が洗練されていない。後半の橋の部分でようやく、別人のように良い声と演技。
 それに引き替え役所広司は最初から最後まで自然体。セリフが自分のセリフになっていた。

 桜庭ななみの可音は最初有らぬ方ばかり見ているので「盲目なのかな?」とか思ってしまった(笑)
 世間を知らぬ(≒役所広司しか知らぬ)生娘なので、映画経験の少なさはむしろぴったり。まぁこの辺は配役のお決まりですね。

 安田成美が演じる島原の太夫・ゆうも中々情が入っている。
 早くから舞台の世界に飛び込み、経験を積んだだけのことはある。
(舞台の告知はよく馬鹿力初期のCMで流れていた)
 ただ台本が良くない。うろ覚えだが「雪がしんしんと降り積もる中」なんて表現、普通云わない。それは地の文。
「十六年前でしたなぁ──。あの日は雪がぎょぅさん積もってましたなぁ……」
 とか口語にしないと。彼女にとって初めて出会った思い出の光景なのだから。


 映画での人形浄瑠璃の演目は、近松門左衛門作「曾根崎心中」。
 その悲劇的な悲恋は当時の若者達に多大なる影響を与え、「心中ブーム」の呈を成し、幕府により上演が禁止されるほどだった。
 人形浄瑠璃が差し挟まれる演出だが、これは「和風っぽいから」と安易に差し挟まれたものではない。
(自分はたまたま数年前に調べていたので知ってたけど、よく知らないと「そう思われてしまうな」と懸念する。やっぱ映画に予習は要るのだねぇ)

 元禄赤穂事件で討ち入りしたのは1703年1月30日の深夜。
 露天神にて大阪堂島新地天満屋の女郎はつと平野屋手代の徳兵衛が情死したのは1703年5月22日の早朝。
 情死事件を題材に近松門左衛門が「曾根崎心中」を制作し、道頓堀《とんぼり》の竹本座で初上演したのが1703年6月20日。

 そう、あの有名な大事件は同じ年の半年も置かずに起き、関西から日本中を揺るがしたのだ。それを天才・近松門左衛門がたった一箇月未満で上演に漕ぎ着けた。
 映画中でも竹本座で上演される。(パンフによるとロケは四国香川の金丸座だそうだけど)

 そしてこの映画は、忠臣蔵と云うより──曾根崎心中の「情死」が真のテーマだろう。
 武士という社畜として玉砕精神で人生と命をすり減らす話ではない。

じょう‐し【情死】 ジヤウ‥
相愛の男女がいっしょに自殺すること。心中(しんじゅう)。相対死(あいたいじに)。泉鏡花、愛と婚姻「―、駈落(かけおち)、勘当等、これ皆愛の分弁たり」。「―をとげる」

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店



 曾根崎は大阪の地名であり、お初天神はヒロインの名前から呼ばれた通称だ。
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 筒井康隆は小説は人を殺せてしまうと云う旨の発言をしたが、創作や表現とはそこまで影響を持ってしまう物なのだ。

~そろそろネタバレ~

 映画では最初「桜庭ななみ→役所広司」という一方通行の親慕の情が恋心に変わっていく様に「曽根崎心中」が重ねられていく。
 曾根崎心中を中途退出→役所が桜庭の足を洗うシーン→曾根崎心中で徳兵衛がはつの足に触れるシーンと重ねられるように。
(曾根崎心中では直接会えない状況になった徳兵衛が縁の下に潜り込み、投げ出されたはつの足に触れるシーンがある。待ち焦がれたはつがそれに気づいて、相手の顔も見えず言葉も交わせない状況だけど、情だけは通わせるという名場面なのだ)
 足に触れただけで情を通わせる二人の関係性は、そのまま二人の十六年の歳月を思い起こさせる。

 しかし「自分の身体であって自分の身体ではない、わたしの身体は忘れ形見」→「わたしは嫁いで、幸せになってみたい」と決断するに至り、その親愛は解消される。

 余談だが、お輿入れの際に次々に人が加わるシーンに一言セリフを入れたくなった。騒々しい夜中の輿入れに「なんや、討ち入りか?」みたいな木訥な住人のセリフを。
 そこで観客が「ああ、だから『最後の忠臣蔵』なんだ」と思えるような仕掛けってわけ。
 忠臣蔵以後、次々に人が加わる知名度ならそういう慣用句はあっても自然だし。


 雨の中佇む役所広司。曾根崎心中のラスト、情死のシーンが重なる。えっ無理心中とか!? みたいなドキドキ。
 色々あって無事にお輿入れも済み、そうではなかった。

 ──だが、佐藤浩市と安田成美は異変に気付く。

 佐藤浩市は気付くの遅い上、切腹を「おぬしは真の武士じゃ」的な勘違いをする馬鹿さ加減。
 安田成美は一枚上手でさりげなく一席を設ける。艶っぽい駆け引きもプライドもかなぐり捨て、女として役所広司をこの世に引き留める。
 福田里香先生のFOOD理論からしても、役所は佐藤たち武士と「最後の晩餐」を行なわなかった。佐藤には最後まで腹の底が見えなかったのだ。一席を設け、無理矢理でもこじ開けようと一献傾けた安田の方が彼の心の奥底に触れることが出来たのだ。だからこそ「髪の毛ひとすじ」に気付くことが出来た。

 よってあの最期。
 討ち入りした後切腹する忠臣蔵であり、床下に入った後情死する曽根崎心中でもある。
 役所広司は切腹ではなく──情死するのだ。
 露天神の森の二人のように、竹林の奥の隠れ家で、
 大石可留と。